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タイトルなし

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新しい仕事

ずいぶん更新をサボってしまった。
というか、家のパソコン調子悪くて最近全然インターネットにつながらず・・・
さてさて、新しい仕事を始めたわけだが、これがなかなかに難しい。
難しいというか、介護の仕事なので腰が痛い。
でも、やっててやりがいは感じている。
相変わらず前の会社からは
「あれがわからない」
「これがわからない」
という電話や
「仕事がすんでから来てほしい」
なんていう電話があるが、肉体労働すんでからまた別の会社に行くのは結構つらい。
しかもバイト代もらえないかもしれないのに行く義理などないような気がするし。
さてどうしたものかな・・・。

学習発表会

25日はおもちの学習発表会だった。
劇の中に手話を取り入れるというもので、おもちは一生懸命練習していた。
当日、おもちは劇の最中に、
「だぁれ?」
のセリフをちゃんと言うことができた。
でも、その後がいけなかった。
ライトが当たってまぶしかったのかもしれないが、しきりに頭を動かしている。
見ている私の方がやきもきしてしまった。
思わず前に出ておもちの頭をひっぱたこうかと思ったくらいだ。
でも、歌いながら手話をする場面になると、まったく間違えることなく、他の子に遅れることもなく、とっても上手にやっているではないか。
あんなに練習したんだもん、上手にできてよかったね。
私はおもちの姿をビデオに撮るのに一生懸命だった。
でも、撮れたのはおもちが頭をふらふらさせているところまでだった。
手話付の歌が始まると同時にビデオのバッテリーが切れてしまったのだ
家に帰ってビデオを見ようと張り切っていたおもちはがっくりと肩を落とした。
「ごめんね、おもち・・・」
というとおもちは、
「いいよ。あたし、怒ってないよ。でも、今度のお休みのときにあたしをうつしてね」
と言ってくれた。
学習発表会、去年は胃腸風邪で出られなかったので、おもちにとっては始めての学習発表会だったのに・・・。
反省反省。

男子バレー

男子バレーを見ていて、私と両親は同時に固まってしまった。
テレビに映っている日本の選手の1人が、元夫によく似ているのだ。
私はひそかにおもちの様子をうかがった。
おもちは日本が得点をとると拍手をしている。
特に変わった様子はない。
でも、部屋に上がると
「ずぅっと前にとうさんが、シャボン玉をしてるときにきてくれたよ」
と元夫の話を始めた。
絵を描いても、
「これ、とうさん」
と言いながら描いている。
今までまったくと言っていいほど元夫のことを言わなかったおもちが、
男子バレーがはじまったとたんに言い始めた。
やっぱり思い出しているのだろうか。
元夫に会いたいともなんとも言わないおもちだが、似た人を見るとやっぱり会いたいと思ったりしているのだろうか。
こういうときはやっぱり考えてしまう。
理由はどうであれ、結果的におもちから父親を奪うようなことになってしまったことを。
そして、同時にきちんと義務を果たさない元夫を恨めしく思う。
数日前に、ホームセンターでレジのパートをしている友人から
「ちょっとちょっと、アンタの元旦那さん、女の人と一緒に買い物に来てたわよ。老けたぶっさいくな女だったわぁ」
と聞いた。
老けていようがブサイクであろうが、そんなことはどうでもいいし、おもちが「とうさん」と言い出すまではなんとも思わなかった。
でも、子供はいつまでたっても慕っているのに、父親はなんとも思っていない(少なくともそう思える)ということが腹立たしく、悲しい。
私はおもちにこんな思いをさせるために生んだのではないのに・・・。

お葬式

会社の人のお父様が亡くなった。
今日これからがお通夜で、明日がお葬式だ。
同じ会社の社員としてだけではなく、とてもお世話になっている人なので出席したいと思っていた。
でも、社長の一声で出席できないことになってしまった。
理由は
「表が完成していないから」
ただ、その表は今日どうしてもいるというものではない。
ちょうど1ヶ月ほど前にも、私の大切な友人のお父様が亡くなった。
私は、どうしても出席したかった。
でも
「死んだ人間よりも表を完成させることの方が大事だ」
という言葉に危うく出席できないところだった。
決して繁忙期というわけでもなく、どうしても必要ではない表と、大切な友人のお父様のお葬式。
私はお葬式を優先した。
いつもいつもそうだった。
子供の発表会や病院も、ほとんど両親に行ってもらっていた。
それが土曜や日曜でも、である。
社員は都合がつく限り、会社のために尽くすのが当たり前だという考えは、果たして経営者として正しいのだろうか。
社員の給料が遅れるのも、社員が悪い。
他の業者に支払いが遅れるのも社員が悪い。
働かせてやっているのだから、社員は時間の許す限り会社に尽くす。
気に入らなければ怒鳴り散らし、物を投げ、胸倉を掴む。
もうすぐ、この会社とはおさらばするわけだが、引継ぎをできる人がまだいない。
私としては困るのだ。
いくら言っても引継ぎの人を決めてもらえない。
その上、
「引継ぎができないなら辞めさせるわけにはいかない。引継ぎをすませてから辞める。それが責任だ」
後任を決めもせずに誰に引き継げというのか。
いくら言っても決めないのはそちらではないのか。
そんなの無視して辞めてやる!とは思っているのだけど。
それってやっぱり、間違っているのだろうか?

都合の悪いこと

私が仕事を辞めることになってから、私の帰りが早くなり、おもちと一緒に寝られるようになった。
それまでは私の帰りが10時を過ぎたり夜中になったり、まちまちだったので、父と母と一緒に寝ていたのだけど、最近はずっと私と一緒だ。
2人でお布団に入っておしゃべりをしながらテレビを見たり本を読んだり至福のひとときである。
でも、それが父には寂しいようで、時々、私が帰る前に
「今日はじいちゃんと寝よう」
と約束をしているらしい。
おもちも私がいないと
“かあさんがいない時はじいちゃんばあちゃんと寝る”
と思っているらしく、
「うん!わかった」
なんて安請け合いするのだが、私が帰ると“やっぱりかあさんと寝る”となるようだ。
そして、みんなでごはんを食べているときに父が
「おもち、今日はじいちゃんと寝るんだろ」
と言った。
おもちは黙って上を指さした。
2階でかあさんと寝るというポーズだ。
「今日はじいちゃんと寝るって約束したはずじゃないのか」
父はおもちをからかうように、でも少し寂しそうに言った。
おもちはしばらく黙ってごはんを食べていた。
そして

あたし、都合が悪いことは忘れる

ことにしよ


と言った。
「都合の悪いことって・・・どこで覚えてきたの、そんなこと」
私が言うと
「かあさん、あたし今

食べることに集中してるんだから黙ってて

食べることに集中って・・・
最近とみに口が達者になってきたおもちであった。
甘えさせることと甘やかすことの違い。
難しいテーマである。

以前、おもちが保育園に通っていた頃、おもちが転んだことがあった。
私はいつも、おもちが転んでも自分で起き上がるまで手を貸すことはしない。
いつでも手を差し伸べてしまえばおもちが
“誰かが助けてくれる”
という気持ちが芽生え、自分で起き上がることや自分のできることでも自分でしなくなってしまうのではないかと心配だったからだ。
でも、そういう私の態度は他のお母さん達から見ると冷たいと映ったようで、
「起こしてあげればいいのに」
「ひど~い」
「障害があるのにねぇ。もうちょっと優しくしてあげればいいのに」
と聞こえよがしに言われてしまった。
でも、私が手を差し伸べなくてもおもちは1人で起き上がる。
そうでなくては困るのだ。
おもちは少し体に不自由なところがあるので、生きていくには人に助けてもらわなければいけないところがあると思う。
でも、それを当たり前と思って欲しくはないし、また当たり前ではないことなのだ。
自分には障害があるのだから他人が助けてくれて当たり前。
こんな考えを持ってもらっては困るのだ。
それに、私もいつまでもおもちのそばにいるわけではない。
いつかはそばにはいられなくなるのだ。
それが、いつなのかはわからないけれど、その時に助けてくれる人がいなくなって困るのはおもちである。
だから、できることは少しでも自分でして欲しいし、またしてもらわなくては困るのだ。
今、できないから、時間がかかるからといって私が手を貸してしまうのは簡単なことだ。
ボタンをはめる時や靴をはく時に、できない自分がもどかしくて悔しくて、泣きながらしようとしているのを見ると手を差し伸べたくなる。
でも、手伝うことがおもちのためにはならないと、私はそう思っている。
冷たいと周りから言われているのもわかっているけど。
でもおもちには自分でしようとして欲しいし、自分でして欲しい。
できた時におもちの見せる笑顔は格別だし、それはなにものにもかえがたい私の宝物だ。

美人の定義

昨夜から風邪気味なのか、どうも声がおかしい。
「かあさん、なんか声が変だよ」
おもちが言った。
おもちは周りの変化にとても敏感だ。
私の少しの髪型の変化や、いつもと違う服装などにも敏感に反応する。
「声、変?」
「うん。」
「どんなふうに変?」
「だって、いっつもより優しいもん」
・・・いつもはどう思ってるの?アンタ・・・。
おもちはいつもこうだ。
以前、学校の行事でおもちと一緒に写った写真を、担任の先生がおもちにお手製の写真立てにいれてくださったことがある。
その時おもちに
「おもちちゃんのお母さん、美人ね」
と言ってくれたらしい。
おもちが帰ってきて言った。
「かあさん、先生がお母さん美人ねって言ってたよ」
「あらおもちの先生、いい先生だね」
「うん」
なんとなくおもちは不満そうである。
「あれ?どうしたの?おもち」
「先生はお母さん美人って言ったんだけどね」
「おもちはなんて言ったの?」
でも、かあさんいっつもジャージだよって言ったの。かあさん、美人ってなに?」
おいおいバラすな、母の日常を・・・。
確かにいつも家ではジャージである。
「・・・美人っていうのは、きれいでかわいい人のことだよ」
「ジャージでも?」
「ジャージでも!」
「でも、テレビの人はスカートだよ。美人はスカートだよ」
ハイハイ、アンタの中では『ジャージ=美人じゃない』ということなんだね・・・。
了解しました・・・といいつつ、やっぱり家にいるときはジャージが手放せずにいる今日この頃である。

リハビリ

今日はおもちのリハビリの日である。
左手と左足が少し不自由なおもちは2週間に1度、リハビリに通っている。
リハビリにはおもちの主治医も時々顔を出して、おもちと一緒になって走ったりしてリハビリに参加してくださる。
生まれたときからずっと診ていただいているが、本当におもちはいい先生に恵まれていると思う。
おもちは、脳に障害があるが、知能的にはほとんど問題はないそうで、とても有難いと思っている。
先週のリハビリの時、先生が
「できるだけ両手を使うように、根気よく促して、意識して左手を使っていけるようになればいいと思うんですよね。だから、そうだなぁ・・・、カニを食べるなんていうのはいいかもしれないな、あれは絶対に両手を使わずには身がとれないから」
とおっしゃった。
おもちは“カニ”という言葉を聞き逃さなかった。
何を隠そう、おもちはカニが大好きなのだ。
基本的に好き嫌いはない。
でも、その中でもエビやカニといった甲殻類が大好物なのである。
その日からおもちの“カニ攻撃”がはじまっていた。
折しも、時期もカニのシーズンである。
しかもこの地方はカニでは有名な地域だ。
テレビのグルメ番組や旅番組でも嫌でもカニを目にするほど、この時期のカニ情報は多い。
テレビでカニを見ると
「あ~あ、カニ食べたいな」
お風呂に入ると、洗面器にお湯を満たして
「いらっしゃい、いらっしゃい、松葉ガニが5匹で5千円!これはお安いですよ、奥さん」
と叩き売りの真似事である。
あまりのうるささに、先週の月曜日と11日の土曜日と2度、父がカニをおもちに買ってくれたのだが、カニはそんなに安いものではない。
今日のリハビリでは、カニだけは禁句である。
お願いです、先生。
リハビリにはカニがいいかも、なんて口が裂けても言わないでください。

ソリコミ

数日前におもちが散髪して男の子みたいになっている。
昨日、夜にバレーを家族で見ていて、おもちの髪型がおかしいことに気付いた。
前髪で隠れていてわからなかったのだけど、どうもはげているように見える。
ん???
なに?このハゲは。
そう思ってよくよく観察すると、そこだけ短いのだ。
なぜか、長さが5mmくらいしかない。
「おもち、なんでここ短いの?」
聞くと、おもちは急いでそこを隠そうとする。
私が観察しようとすると、トイレに逃げこんでしまった。
・・・自分で切ったな。
叱らなきゃいけないのだろうけど、ついつい笑ってしまって怒れない。
私が笑っているのでおもちはおそるおそるトイレから出てきた。
出てきたおもちを捕まえると、
「こらっ!髪の毛自分で切ったら危ないでしょ!怪我したらどうするの!」
と叱るとおもちは消え入りそうな声で
「ごめんなさい・・・」
と言った。
しかし、見れば見るほどおかしい。
これではまるで一昔前の不良がやっていたソリコミと同じではないか。
いまどき、こんなヘアスタイルの子供がどこにいるというのか。
しかも、おもちは女の子である。
ということで、今朝、目立たないように一生懸命セットをしてみた。
何もしなければ、わりと目立たないとは思う。
あくまでも何もしなければ、である。
でも、帽子をかぶっていって、それをぬいだら・・・
ソリコミ、丸見えなんだろうなぁ・・・。

昨日、学校から電話があった。
おもちの担任からで、おもちが同じクラスの男の子を叩いたということだった。
「私も現場を見ていたわけではないので真偽は定かじゃないんですけど、“叩かれた”とその男の子が言うのでお知らせだけ、と思いまして・・・。おもちちゃんに聞いてみたんですけど何にも言ってくれないんですけど、怪我をされているわけでもないですし、事実かどうかもわかりませんので、おもちちゃんにはあんまり言わないであげてください」
私はおもちに聞いてみるかどうするか少し悩んだ。
理由もなしに本当に叩いたのであれば、完全におもちが悪い。
理由があったとしても、叩いたのはおもちが悪い。
でも、それが事実かどうかさえわからないのだし・・・。
お風呂から上がってきたおもちは、パジャマに着替えると、なにやら紙っとペンを持ってこたつに入ってきた。
お絵かきでもするのかと思って見ていた。
“○○せんせい、すみませんでした。○○くんをたたきました。あしたあやまります”
おもちはまだひらがなしか書けないのだが、一文字一文字一生懸命に書いていた。
叩いたのは事実なんだな。
そう思って黙って見ていると、おもちはぽろぽろと泣き出した。
「○○くんにデブって言われて叩いちゃった。かあさん、ごめんなさい」
言ってわんわん泣き出したおもち。
「そうかぁ。デブって言われたのか。でもねぇ、おもち。おもちの手は何のためにあると思う?」
「・・・ごはん食べるため」
・・・それはそうだけど。だから太るんだよ。
と心の中で思いながら
「そうだねぇ。あと、字を書いたり、いろんなもの作ったり、かあさんとぎゅうってしたりするためにあるんじゃないの?人を叩くためにあるんじゃないよね」
「うん。ごめんなさい」
「明日、学校に行ったら○○くんに謝るんだよ」
「はい」
そして私とおもちは寝ることにした。
暴力はいけない。これは当たり前のことだ。
学校に行くようになって
「○○ちゃんが叩いた」
「○○くんに蹴られた」
また逆に今回のように
「○○くんを叩いちゃった」
蹴ることはないようだが、そういうことを時々聞くようになった。
おもちが叩かれたのなら、
“まぁ子供同士のケンカだし。大怪我さえしてこなければ叩かれたり蹴られたりして、たくましく育ってくれたまえ”
“兄弟喧嘩でも叩いただの抓っただの言うんだし”
と思うのだが、おもちが叩いたとなるとどうにも気になる。
どこの家でもあることなんだろうけど・・・。
みんなどうやって対処してるんだろう。

散髪

おもちが父と一緒に散髪に行った。
いつもおもちは父と一緒の床屋さんで散髪をする。
おもちの髪はすごい癖毛で、長くすると膨らんでしまうので、いつも短くカットしてもらっている。
昨日もかなり短くしてもらって得意げなおもち。
私が仕事から帰るなり、玄関先まで走って出てきて頭を振りたてた。
散髪をしてきたから見ろ、ということなのだろう。
「あら、おもち、短くなってかわいくなったねぇ
私はおもちの頭をなでた。
「男の子みたいですっごくかわいいよ
その途端、おもちはその場に崩れ落ちた。
がっくりとしたポーズで恨めしげに私を見る。
慌てて母が居間から出てきた。
「ちょっと、ぼたもち!それは今日は禁句なのよっ。」
どうやら、近所のおばさんたちに、さんざん
「おもちちゃん、男の子みたいになったね。かわいいよ」
と言われたらしいのである。
すっかり落ち込んだおもちを、父が慰めようとしておもちの大好きなお饅頭を買いに行ったのだが、その和菓子屋が定休日でさらに落ち込んだおもち。
でも、私の帰りが早かったので元気を取り戻したのに、私がさらに追い打ちをかけたということらしい。
おもちはがばっと立ち上がると、どどどっと走って奥の部屋に入ってしまった
そして今朝、おもちはピンクの服とスカート付のズボンをはいた。
服は女の子らしくてかわいい。
でも、おもちが着ると、どうしても男の子が女の子の服を着ているようにしか見えないのである。
しかも、おもちは元夫にそっくりで、どちらかというと男の子っぽい顔立ちである。
見れば見るほどアンバランス・・・。
母は
「おもち、それはダメよ。おかまに見えるわ。男女みたいよ」
と、服を着替えるように言った。
そして父に
「服くらいおもちの好きなのを着させてやればいいだろう」
と叱られていた。
その間に私はおもちといつもの行ってきますの挨拶をして出かけた。
おもちは女の子の服装をして学校に行き、
「せんせー、見て。髪切った
と言って先生に
「あら、男の子みたいでかわいくなったね」
なんて言われて崩れ落ちているんじゃないだろうか。
ちょっと心配。


立ち番

おもちの集合場所近くの交差点の立ち番の日が来た。
私はおもちが家を出るより40分以上早く出ないと仕事に間に合わないため、いつも母に行ってもらっていた。
でも、休みがとれたため、初めての立ち番。
7時45分に交差点に着いていなければいけないらしい。
我が家からそこまでは歩いて1分。
おもちが家を出るのは7時55分だ。
おもちのランドセルの中を、忘れ物がないかこっそり確認したり、ばたばたしているうちにすぐに時間がきてしまう。
時計を見ると7時40分を指しているではないか。
立ち番には、黄色で背中に赤でなにかのロゴの入ったジャンバーを着て、安全たすきをかけなくてはいけない(ちょっと恥ずかしい格好である)
「おかーさん、ジャンバーこれだよね」
「うん、そうそう。横断中って書いてある黄色い旗も持ってね」
母が旗とたすきを持って玄関まで見送りに来た。
そして、母はおもむろにたすきをかけた。
「なにやってんの
たすきをかけなくてはならないのは母ではない、私なのである。
しかも下駄箱の上の時計はすでに43分を指している。
「いや、教えてあげてるのよ、たすきのかけ方」
・・・そんなこと教えてもらわなくてもけっこうである。
「そんなこといいから早くたすき貸してよ。遅れちゃうじゃん」
私がせかすと母は
「何よ。せっかく教えてあげてるのに」
と不満そうにたすきをはずした。
私はたすきを受け取ると
「行ってきます」
と玄関を出た。
「たすきは右肩にかけるのよっ。右よ、右っ!わかったの?ぼたもちっ!右よぉぉっ!

近所迷惑だっつーの。

本当に女の子か?

連休であろうが、普通の土日であろうがほとんど出勤だった私だが、辞めることが決まってから、この連休は4日の午前中を除いて休むことが出来た。
ということで、おもちと姪に編み物を教えたり、みんなでたこ焼きを作ったり、おやつにホットケーキを焼いたりしたのだけど、やっぱり子供と一緒に過ごすのは楽しい
ただ、編み物に関しては、次の日からは姪がやっていてもおもちは見向きもせず、甥とおもちゃの鉄砲と刀を持って家の中を走っていた。
基本的におもちは、女の子らしい遊びが苦手である。
人形で遊んだりするようなことはほとんどない。
お料理ごっこをするが、それは自分が食いしん坊で、食べることが大好きだからであって、決して女の子らしいからではない。
そういえば、夏休みの宿題で“名前あつめ”というのがあった。
“あ”“い”“う”“え”“お”の50音の文字から始まる言葉を5つずつ書きましょうというものだったのだけど、おもちの答えはほとんど食べるものばかりだった。
“あ”は“あいす・あめ”などだったし、“す”は“すし・すいか・するめ・すこんぶ・すのもの”だった。
“し”では“しり”と書いて、先生に
「“しり”には“お”をつけて“おしり”にしましょう」
というコメントをつけられていた。
“しり”ってアンタ・・・
ちょっと女の子の部分が少ないおもちを心配している母であった。

編み物

仕事を辞めることが決まってから、少し自由な時間がとれるようになってきた。
今までは、おもちにセーターを編んだりしていたのだけど、今の仕事になってからは時間的な余裕があまりなくて、編み物などをすることができなかった。
けど、今年の冬はできそうだ
ということで、昨日、編み物の道具を出してきた。
義妹は東京・横浜見物に出かけていったので、弟の子供たちが3連休を我が家で過ごしているので、子供たちの面倒を見るのはなかなか大変だ。
私が編み物をしようとしていると、姪が「私もやりたい」と言い出した。
2年生ながら、けっこう手先の器用な姪ならできるかも、とじっくり教え始めたのを見て、おもちが
「あたしもやりたい」
と言い出した。
左手が少し不自由なおもちだけど、リハビリにもいいかも。
子供たち2人を前に、時間をかけてゆっくりと教えていた。
姪はさすがに覚えが早い。
「うん、上手上手。はるちゃん(姪)上手いよ」
と声をかけるとすかさずおもちが言った。
「おもちはどうせ下手だっていうんやろ」
誰もそんなことは言っていないではないか。
「おもちも上手よ。でも、もうちょっとこうした方がいいかな」
そして、教えること2時間、姪は5cmくらいの高さまで編み上げた。
おもちも一生懸命やっていたのだけど、
「かあさん、これはあたしには向かないからあきらめることにするわ」
と、立ち上がり、甥と遊び始めてしまった。
でも、悲しかったようで、後で
「できなかった」
と泣いていた。
思うように動かない自分の指。
もどかしくてたまらないのかもしれない。
どんな言葉をかければいいのか、私にはわからなかった。
「おもち、かあさんも編み物始めたの、おもちくらいの時だったんだよ。かあさんも最初は全然上手にできなかったんだけどね」
「でも、かあさん上手だもん。あたし、できないもん」
「かあさんはね、編み物が好きで、やりたかったからがんばって練習したんだよ」
十分頑張っているおもちにこれ以上頑張れとは言いたくないと思う。
でも、どう言えばいいのだろう。
私は、自分の言っていることがただの慰めでしかないことはわかっていた。
それでも言わずにはいられなかった。
「だけどさ、おもちは編み物じゃなくても他にいっぱいできることあるんだよ。みんなと同じでなくても、おもちにできることはいっぱいあるよ」
「やだ。みんなと同じがいい」
「うーん、かあさんはねぇ、みんなと同じじゃないおもちが大好きなんだけどな。みんなと同じじゃないかもしれないけど同じになりたいって頑張ってるおもちが大好きだよ」
おもちは今まで泣いていたのが嘘のように笑った。
「そっか。できなくても、頑張ればいいんだもんね。失敗は成功のもとだもんね」
「そうだね。失敗は成功のもとだね」
おもちは十分頑張ってるよ。
でも、頑張ってもできないことがたくさんあって、悲しい思いをすることがとても多いおもちを、どうして普通に産んでやれなかったのかと思うことが時々ある。
それでも、頑張るおもちを私はいつでも誇りに思うし、これから先も誇りに思うだろうし愛してやまないだろう。
さて、今日も楽しもうね、おもち。

仕事

今日の午前中に希望していた就職先の会社説明に行ってきた。
そして“11月中に試験をする予定ではあるけど12月にずれ込んだら、12月始めからとりあえずパートで、合格してから職員というかたちでどうですか”と言っていただいた。
私としては願ってもない申し出だった。
これでとりあえず仕事も決まったし、あとは今の会社から解放されるのを待つだけである。
やったー(^o^)v

仕事

今日の午前中に希望していた就職先の会社説明に行ってきた。
そして“11月中に試験をする予定ではあるけど12月にずれ込んだら、12月始めからとりあえずパートで、合格してから職員というかたちでどうですか”と言っていただいた。
私としては願ってもない申し出だった。
これでとりあえず仕事も決まったし、あとは今の会社から解放されるのを待つだけである。
やったー(^o^)v

再婚

時々人に聞かれることがある。
「再婚はしないの?」
そんな時、私はいつも
「しない!」
と即答する。
離婚して再婚に踏み切れる人というのは、結婚ということに対して、夢を失っていないのかなぁ、と思ったりする。
私は、人の気持ちはいつかは変わると思っている。
永遠の愛など存在しないと思っている。
再婚して同じことを繰り返さないという保証はない。
たぶん、再婚するということに対して臆病になっているのだろう。
子供だって、私にとっては血のつながった大切な子供である。
でも、相手にとっては他人の子供でしかないのだ。
いくらかわいがってはいても、いつかは変わってしまうのではないかとも思う。
再婚だけではなく、人の気持ちそのもの自体に臆病になっているのかもしれない。
それなら、いくら経済的には苦しくても1人の方が楽ではないかと思ってしまう。
私とおもちと、それだけでいいんじゃないかと思ってしまう。
おもちはお父さんという存在を望んでいるのかいないのか、今だもってよくわからない。
これってやっぱり逃げの一種なんだろうか。

退職までの・・・

退職願いが受理されて、一応11月いっぱいで退職が決まったんだけど引継ぎをする人が誰もいない。
私は経理・総務部に配属されているのだけど、私が辞めた後に給料計算とか支払作業とかをする人が誰もいなくなってしまう。
うーん、どうするつもりなのか。
以前、顧問の会計事務所の先生に、支払計画表の件で相談をしたことがあるのだけど、先生に
「そんな表は全国どこの会社をさがしても作っていることはないし、そんなものを作っても時間の無駄ですよ。」
とはっきり言われたことがある。
さらに先生はこう言った。
「そんな、会計士の私でもできないようなものを、一般の社員ができるわけがないんですよ。お宅の社長も何を考えているんだか・・・。ま、私が昔に“そんなことはできませんよ”と進言したら灰皿が飛んできましたけどねぇ」
灰皿かい・・・
「・・・そうなんですか・・・。ということはそんな表はできないということなんですね」
私が確認すると先生はさらに言った。
「そんな表はあり得ませんね。でもまぁ、社長にそんなこと言うと何が飛んでくるかわからないから、しかたない、

剣道のお面でもかぶって社長

室に行くしかありませんな


はっはっは
はっはっは、じゃねーよ・・・
その後、
「ま、冗談はさておいて、どうしてもやれというなら・・・」
と、アドバイスはいただいたのだが、顧問の会計事務所の先生に、剣道のお面をかぶって社長室に行けというアドバイスをもらう会社が世の中にいくつあるのだろうか。
結局、アドバイスを元になんとか表を作り上げたのであるが、未だに社長の気に入る表にはなっていないようだ。
そして、昨日である。
夜、私ともう1人の女子社員が社長室に呼び出しを受けた。
締日に提出した資料に定期積立がのっていないとかなりの勢いで怒鳴られたのだが、今月の定期積立をしなかったのは社長である。
してもいない定期積立をどうやってのせるというのか。
状況を説明しても
「人のせいにするな!銀行やわしが悪いんじゃなくてお前らが悪いんだ!」
と怒鳴り、今回飛んできたのはペンではなく書類の束だった。
決裁権は社長にあり、銀行の印鑑も社長が持ち、押すのも社長であるのにどうやってするというのだ。
そう思ったが、あと1ヶ月の辛抱だ、と言い聞かせた。
やっぱり、退職するのは間違いではない。
そう思った出来事だった。

退職

先日、退職願を提出した。
10ヶ月近く悩んで考えて出した結果である。
2年半前に今の会社に就職して、田舎のこの地方でこの年代の女にしてはいいお給料をいただいていた。
その代わり、仕事はきつかった。
体力的にではなく精神的に。
毎日毎日朝の7時半から夜は早くて8時過ぎ、遅いと午前様で、明け方だったことも何度もある。
土日もほとんど休みなしだった。
それだけならまだ我慢もできたと思うが、嫌だったのは夜の9時半頃から社長室に呼び出されて前任者のことで怒鳴られたり、男子社員が胸倉を掴まれたり本で頭を叩かれたり、電卓を床に叩きつけて壊されたり机を蹴飛ばされたり・・・。
他の会社の人と打合せをしていたときに、社長の怒鳴り声が響いたことがある。
怒鳴られたのは私ではなく別の男子社員だったのだが、怒鳴ったり物がぶつかったるする音がしていた。
すると、「えーっと、なんか打合せする雰囲気じゃないので出直します」と帰られてしまったりした。
お給料も給料日に出ることはまれだった。
会社にお金がないわけではない、銀行にさえ借金などない会社なのだから。
理由は「計画表ができないから」である。
給料が払えないのは社員のせいなのである。
毎日毎日そんなことが繰り返されて、一時期は食事ものどを通らず、細切れにしか眠れなくなった。
そして、今週の初め、退職願を出した。
これから職探しを始めることになる。
お金は大切である。
このブログでも何度もそう書いてきたし、今でもそう思っている。
でも、今ほどの給料をもらえなくても、普通に働きたいと思っている。
入社する前のことでわけもわからず怒鳴られたり、ペンを投げつけられたりすることなく、普通に仕事がしたいと思う。

おもちの病気

最近は日常のことを書くようになったこのブログだが、日記代わりに続けて生きたいと思う。
さて、日曜日からずっとおもちは風邪をひいている。
月曜・火曜と学校を休んでいて、今日やっと登校したと思ったら、学校から電話がかかってきて、
「熱があるのでお迎えに来てください」
とのことだった。
最近はそうでもないが、以前はおもちが病気になるたびに心配で心配で仕方がなかった。
生後1ヶ月で退院したとき先生に、
「いつまで生きられるか、というのは正直言ってわかりません。3年なのか5年なのか、20年なのか80年なのか答えることはできないけど、怖いのは左脳が右脳をカバーしようとして肥大して右脳を圧迫してしまうことです。嘔吐を繰り返して意識がおかしいようだったら救急車でもなんでもいいのですぐに来てください」
と言われたことが頭から離れなくて、寝ているおもちの顔に手のひらを近づけて息をしてえいるかどうか確かめたりしていた。
吐いたりすると、それが胃腸風邪でも怖かった。
今は大きくなり、吐いていても話をするようになったので、おなかがしんどいのかどうなのかが理解できるようになったが、わからない頃は本当に怖かった。
7才になったおもちは、口だけは達者である。
日曜日、病院に救急外来で行ったのだが、先生に寝台に横になるように言われ、寝台に上がったのはいいのだが、四角い枕が少しずれると、
「ちょっと待ってください、枕がずれました」
と起き上がり、枕を直し始めた。
先生も思わず吹き出しておられたが私としては
「アンタ、ほんとにしんどいのかい」
と言いたくなった。
リハビリにも通っているのだが、いつもこんな調子である。
一緒にいると恥ずかしい思いをすることばかりだが、私はおもちにすこしでも私のそばにいてほしいと思っている。
1分でも1秒でも長く生きて私のそばにいて欲しいと思う。
料理のお手伝いの大好きなおもちがもう少し大きくなって、ごはんをつくってくれるようになれば嬉しいと思う。

その後

義父と義母が来てから、我が家は平穏である。
それから数日後、父が○○金融公庫の呼び出しに応じたが、やっぱり出席者は義父と父のみで、今回は義兄さえも来なかった。
あの一家が借金についてどう考えているのかはわからない。
少なくとも、私は関わりたくないと思っている。
その後すぐ、元夫からメールがきた。
以下、原文のままである。
元夫「ご無沙汰しています。今回の給料日にはなんとか養育費を・・・と思っています」
私 「そうですか」
元夫「とりあえず、その件は給料が入り次第に連絡します。あと、おもちに会いたいのですが」
私 「何度も言うようですが、私は義務さえきちんと果たしてもらえれば、そしておもちが望めばいっこうにかまいません」
元夫「わかりました。それをすれば必ず会わせてくれるんですね」
私 「おもちが望むなら・・・ですが」
元夫「わかりました。それは直接おもちと電話かなんかで話して、会いたいかどうか聞いて決めるということで。養育費の件は給料が出次第連絡します」
それから、3ヶ月以上たつが、なんの音沙汰もない。
あなたの給料は3ヶ月以上出ないのか、とイヤミのひとつも言ってやりたい気分になるが、どうせ最初からあてにはしていない。
わざわざそんなことでまた関わりあいたくもない。
結局、元夫のおもちに会いたいという気持ちはその程度のものだということなのだろう。
最近、おもちが元夫のことを言うことはほとんどない。
忘れているのか、言わないようにしているのかはわからない。
このまま会わない方がおもちにとって幸せなのかどうなのか、それもわからない。
以前に少し書いた彼のことだが、おもちは彼にとてもなついている。
彼の方もおもちをとてもかわいがっている。
そして、おもちの父親になりたいと言ってくれている。
でも、それにはまだまだいろんな問題が山積みである。
それでも、私は彼に感謝している。
この先、再婚ということになるのか別れることになるのか、それはわからないけど、たぶん私は、おもちの父親になりたいと言ってくれた事は忘れないと思う。

何しに来たの?

その日の夕方6時半過ぎのことだった。
父がおもちを連れてタバコを買いついでにガソリンを入れてくると言って車で出かけたすぐ後のことだった。
ピンポ~ンとチャイムが鳴った。
「ちょっと、ぼたもち出てぇ」
トイレから母が叫んでいる。
私はちょうど仕事から帰ってきたところだった。
「はぁい」
返事をして玄関に行くと義父と義母が立っているではないか。
夢や幻ではない。
本物の義父と義母である。
私の頭は一瞬パニックを起こした。
何をしに来たのか、まったくわからなかった。
「あ、あの、お父さんは・・・」
義父は気まずそうだ。
それはそうだろう。
「父は出かけてますが、何かご用でしょうか」
私はにこりともせずに言った。
この人たちに愛想を振りまく気になどならなかった。
「・・・お願いがあってきたんです」
お願い?なにを今さらお願いすると言うのだ。
「○○金融公庫と話し合いをさせてもらってるんですけど、どうにもならんのです。それで、他の銀行に再度融資を申し込んだんですけど、やっぱり保証人が必要で・・・」
それとうちに来るのと何の関係があるのだ。
まさか、また保証人になってくれとでも言うのか。
「いろんなところに頼んでみたんですけど、どこにも断られて・・・。恥をしのんでお願いにあがりました」
冗談もたいがいにしてもらいたい。
父がいないという理由で帰ってもらうことも考えた。
でも、どうしても腹の虫がおさまらなかった。
「父がそんなに簡単に保証人になると思われますか?」
「思いません。だからこうやって直接お願いにあがってるんです」
「それは、最初の時にされるべきだったんじゃないでしょうか」
「・・・それを言われると言い返す言葉もないんですけど・・・」
後ろでギィっと小さな音がした。
振り向くと母がトイレのドアを少し開けて顔を半分出して覗いている。
私と目が合うとさっと隠れた。
・・・何をやっているのだ。
私はため息をついた。
「どうか、お願いします。うちにもおもちちゃんと同じくらいの孫がおります。あなたも人の親なら、小さい子供だけは悲しませたくないというのはわかるでしょう」
義母が言った。
私がわかったところで父が了解するかどうかはわからない。
それにそんな言葉を義母から聞くとは思わなかった。
「人に頼らずにご自分たちで努力なさったらいかがですか」
「努力したけど無理だったんですよ。もう方法がないんです」
「あら、方法ならあるじゃありませんか」
私は明るく言った。
「お宅の家の前、わりと大きな道路が通ってますよね。事故にでもあわれたら生命保険でなんとかなるんじゃないんですか?あぁ、生命保険かけるお金もないんでしたね」
まるで高利貸しか何かのセリフのようなことを言ってしまった。
「私らが死ねばいいと言うんですか?」
「あら。死んだって保険に入ってなければ無駄に葬式代がかかるだけなんだから、死なれては困りますよ、○○金融公庫の分を完済されるまでは。それ以降ならどうでもいいですけどね」
あまりに冷たすぎるだろうか。
でも、本当に義父や義母がどうなろうと私の知ったことではないのだ。
困るのは債務を残して死なれること。
それだけだった。
たぶん、義父や義母がお金に困って自殺したとしても、私の心は少しも痛まないに違いない。
時々借金を苦にして自殺というニュースが報道されるのを見ることがあるが、“大変だったんだろうなぁ”“私もあのままだったらこうなっていたかも”とか、なんらかの感情がわくのだけど、もし義父や義母がそうなっても、思うことは“まさか○○金融公庫の分、残してないよな。それだけは残すなよ、冗談じゃないぞ”くらいであろう。
我ながら冷たいと思う。
「父は呼び出しには応じると思います、それが保証人の義務ですから。でも、他の保証人にまではなる義務なんて一切ないので、お帰りください」
私はさらに冷たく追い返した。
義父と義母は肩を落として帰っていった。

義父への逆襲

電話では話はしていたけど、久しぶりに見る義父はなんだか年老いて見えた。
「ご無沙汰してます」
私はあえてにこやかに声をかけた。
“呼び出されるのは保証人の義務”と言った義父になんとか言ってやりたいという気持ちを抑えることができなかったのだ。
義父は私を見て
「あ、ぼたもちさんか。電話ではどうも。ま、でも、この前も言ったけど、呼び出されるのは保証人の義務だからな」
と、勝ち誇ったように言った。
一度ならず二度までも、というのはこういうことだろうか。
私は、キレた。
義父に向かって微笑みかけ、言った。
「貧乏人の開き直りって怖いですねぇ」
私も貧乏である。
でも、人に迷惑をかけた挙句に、“それはあなたの義務だ”なんてとても言えない。
「人に迷惑かけても、それを義務なんてのうのうと言えるって幸せですよねぇ」
「迷惑って・・・」
義父は周りを気にしながら呟いた。
「確かに保証人の義務でしょうけど、そんなこと、返済もしてないのに平気で言えるのってほんっとにすごいですねぇ」
「してないんじゃなくて、できないんですよ、払う金がないんだから」
「そりゃつくる努力もしてないんだから、できないのは当然ですよね」
「努力はしてますよ、でもできないんだから」
「あら、どんな努力ですか?夜バイトに行かれたりしてます?内職でもされてます?新聞配達でもなんでもできることはあるんじゃないんですか?お義兄さんだってまだお元気なんでしょう?」
義父は黙って私を睨みつけていた。
私は笑みを絶やさなかった。
「・・・あんたは冷たい人だ。●●も、あんたみたいな人とは離婚して正解だった」
「そうですね、私も離婚できて正解でした。そんなにお金に困らなくてすむんですから。私には子供がいますから、子供を飢え死にさせるわけにはいかないんです」
「こっちがそうなってもいいって言うんですか。うちにだって孫がいるんだ」
「そんなこと、私には関係ないことです。そう思われるならなんとかしたらいかがですか?できる努力をしないで人に迷惑をかけて、その上であんたの義務だなんて平気で言えるような人は人間のクズだと、私は思うんですけど、どう思われます?」
あくまでもにこやかに穏やかに尋ねてみた。
義父は顔を真っ赤にして私を睨みつけ、拳を震わせていた。
私は義父から目をそらさなかった。
殴られてもかまわなかった。
逆に殴ってくれればいいとさえ思っていた。
そうすれば、すぐに警察に駆け込んでやる。
でも、そんなことは起こらなかった。
「じゃ、失礼します」
私はにこやかに言うとその場を後にした。
“勝った”そんな気分だった。
思わず義父に背を向けた瞬間、見えないようにガッツポーズをした。
でも、それから2日後、義父と義母が我が家を訪ねて来ることになるとは、この時はまだ、知る由もなかった・・・。

お知らせ

ブログを書き始めて1ヶ月がたちました。
結婚してからのことを振り返ってきたわけですが、過去の出来事で、今まであえて目をそむけてきたことというか、思い出さないように考えないようにしてきたことがあります。
今までブログを書いてみて、結婚してからのことも、自分の中で強烈に残っていることだけを抜粋して書いていたと思います。
なので、もっと過去のことからきちんとブログにしていこうと思い、新しくブログを立ち上げてみました。
今まであえて忘れようとしていたのは、このブログにもちらっと書いた19才の時に酔った会社の人に無理やりされたことでした。
先日あるドラマを見ていて、その人に似ている俳優さんが出演しているのを見て、その時のことが一気に思い出されました。
しばらくは男の人の声を聞くのが嫌でした。
でも、もう10年以上前のことです。
いつまでもそれに縛られるのは嫌だと思いました。
でも、ここを今さら修正するのも・・・ということで新しくブログを作ることにした次第です。
ここは、今までどおり書いていくつもりです。
新しいブログも、結婚してからのことはこのブログと重複することもたくさんあるかと思います。
でも、よろしければそちらの方にも遊びに来ていただけると嬉しいです。
ただ、新しいブログが別のサイトというのは、文字の大きさや色を変えるのが、なぜかここでは上手くいかず、試行錯誤の結果、別のサイトにしました。
ただ単に私のPCの技術が足りないだけなんでしょうね
ということで、今後もよろしくお願いします。
http://ameblo.jp/mayuppi0205/
新しいブログはこちらです

義父へ

元夫のカードの件があってすぐ後に、また○○金融公庫から父への呼出の封書が来た。
私の堪忍袋の緒も本当に切れかけだった。
私は元夫の実家に電話を入れた。
出てきたのは義父だった。
私 「○○金融公庫から呼び出しが来たんですが」
義父「あぁ・・・またこんなことになってしまって」
私 「どうなさるおつもりですか」
私の口調は最初から喧嘩腰だったと思う。
義父「どうなさるおつもりって・・・どうもこうもしようがないからこんなことになってるんです。うちの方は迷惑かけないように一生懸命やってるんだけど、もうどうにもならんとこまできてるんだし」
私 「それはそちらの事情ですよね。うちにはまったく関係ないことです」
義父「それはそうだけど、そんなこと言っても払えないものはどうしようもないだろう」
私 「どうしようもないって、迷惑かけない約束ですよね。何度も同じこと繰り返してますよね」
義父「そう言われてもないものはどうしようもないんだ」
義父の声は震えていた。
悔しいのか悲しいのかはわからないが、震える声で義父は言った。
義父「うちだってどうしようもないところまで来てるんだ」
そんなことは私の知ったことではなかった。
義父「家も売りに出してるけど売れないし、どうにもならないんだ。こっちも迷惑かけないように必死なんだ!」
義父の震え声を聞いても私にはひとかけらも同情の気持ちなど湧いてこなかった。
私はさらに言い募った。
私 「呼出があること自体が迷惑なんです」
そう言うと、義父は言った。
義父「それはそうかもしれないけど、それが連帯保証人の義務だ」
連帯保証人の義務と言われればそうなのだろう。
でも、それは義父が言うことなのだろうか。
私 「そうおっしゃるならわかりました、何でも売って支払ってください」
義父「払えっていうなら払うし、そんなことはわかってる」
そして、電話は切れた。
悔しかった。
保証人の義務と言われると言い返せる言葉がない。
本当に悔しかった。
そして、それから数日後、中小企業の社会保険の説明会に私は出席することになった。
経理を担当しているので、給与支払いのためには出席しなければならない。
そして、そこで義父に会ったのである。
会うだろうとは思っていた。
義父ではなくても義母か義兄が出席するはずだと。
私は、義父に近づいて行った。

平成18年春

平成17年、おもちは近くの公立小学校の障害児学級に入学した。
環境の変化にも上手く順応して、大きなトラブルがあることもなく、平成17年は終わった。
そして、今年、平成18年のことである。
私は、自分の名義の借金についてわりと無頓着な方だったと思う。
新しい会社に入り、残業も多く仕事も厳しいけど、お給料は手取りで26万程度になっていた。
親と同居ということもあり、月に57,000円の返済はそんなに苦痛ではなくなっていた。
あとどれくらいの借金が残っているのか、今まで漠然と返済をしてきたけどきちんと調べてみる気になり、そこに電話をしてみたのだ。
もし、一括返済できる金額ならしてしまおうという気持ちも働いていた。
そして、私は驚愕の事実を知った。
借金はまったく減っていなかったのだ。
なんで?どうして?
詳しく聞いてみると、平成14年にカードが発行されていたらしい。
そのカードは私の手元にはない。
でも、そのカードから返済をするたびに引き出されていると言うのだ。
カードが送られたのはアパートだった。
元夫が引き出しているということなのだろうか。
不安になり、もう1社にも確認の電話をしてみた。
私が借りているのは2社だが、そこは姉妹店というのか提携しているというか、とにかく繋がりがあるらしい。
もう1社も同様で、まったく減っていないのだ。
カードで引き出しているので、私のところに明細は送られてこない。
まったく気づかなかった私もバカだったが、勝手にカードを使う元夫に呆れ果てた。
そして、私は元夫に電話をした。
元夫は、不機嫌そうに電話に出てきた。
私 「○○と●●のカード、あなた持ってるの?」
いきなりそう問いかけると元夫は黙った。
何も言えないのだろう。
私 「持ってるよね、そっちに送られたんでしょ、離婚するちょっと前」
元夫「それが何?」
私 「何って・・・お金引き出してるよね。私が返済するたびに」
元夫「そんな証拠あるのか?」
私 「○○のキャッシュコーナーで引き出されてるって聞いたんだけど」
元夫「だから、それで俺が引き出したってなんでわかるの?」
私は何も言えなかった。
防犯カメラを見たわけでも、現場を見たわけでもない。
今問い詰めたところで証拠など何もないのだ。
私 「証拠はないけど、でもそれって泥棒だよね」
元夫「泥棒っていうなら警察に行けば?カードが来た頃は別居してても夫婦だったわけだし、お前からもらったって俺が言えば証拠なんてないんだから警察も動いてくれないと思うけど」
謝りもせずに開き直るその態度に怒りは頂点に達した。
でも、悔しいけど私は元夫に反論できなかった。
証拠など何もない。
渡してないと言っても、別居していたとはいっても夫婦だったのだから、警察に言ってもどうにもなりはしないだろう。
カードの出金停止の処理はしてもらったものの、今まで返済してきた分はすべて無になってしまった。
これから頑張って返せばいいや、なんて思えなかった。
腹立たしいのと悲しいのと悔しいのとで頭の中はぐちゃぐちゃだった。
その後、さらに腹立たしい出来事が、今度は父の保証人の借金の件で起きるのである。

幼稚園

平成16年の春、本当ならおもちは幼稚園に行くはずだった。
でも、続けて保育園にお世話になることになった。
当時のおもちは1人での階段の上り下りはまだできなかった。
大人が手をつながないと階段を移動することができないのだ。
幼稚園の説明会のときに、幼稚園の園長先生が
「この校区内の保育園を見に行きましたが、今度幼稚園に入園する年のお子さんで、まだ1人で階段の移動ができないお子さんがおられます。入園を拒むということはありませんが、そういうお子さんは入園されても、園での遊びなどについていけずに寂しい思いをされることと思います」
とおっしゃった。
おそらくそれはおもちのことだろうと思う。
拒むとは言わないが入らない方がいい、とそういうことを言外に言っているのだと、私は感じた。
幼稚園の体制がそうなら、きっとおもちは窮屈な思いをするだろう。
先生方が邪険に扱うことはないとは思うが、それでもそんな体制のところには入れたくないと思った。
そのことを保育園に相談してみた。
「あぁ、今の園長先生はそういう考えなんですよね。前の園長先生は“障害のある子供を受け入れないでどうするんだ”っていう考え方のいい先生だったんですけどね。でも、幼稚園がダメでもおもちちゃんはうちにもう1年通えばいいんですよ、おもちちゃんも慣れてることだし。
うちはおもちちゃん大歓迎ですよ」
と言ってくださったので、保育園にもう1年通わせることにした。
結果的に、保育園に通って正解だったと思っている。
障害が重くても軽くても、障害児というのはそう簡単に受け入れてもらえないんだと実感した。
今後、小学校、中学校、高校と、ずっとおもちにはそれがついて回るんだということも。
そして、私にはそれを相談し、頼る人がいないのだということを改めて思った。
元夫など頼ることはできないし、そんなつもりはさらさらない。
両親がいるにはいるが、あくまでもおもちの祖父母であり、おもちの親は私1人である。
今さらながら、シングルの重圧のようなものを感じた。
それでも、頼れる相手が欲しいとは思わなかった。
自分しかいないのなら、1人でやるしかないのだ。
これから先、いつまでも両親は健在なわけではない。
いつか年老いていつかはいなくなるときがくるのだ。
それが早いか遅いかはわからないが、いつか絶対にその時がくる。
頼れる相手などいらない。
そんなものはいらないから、おもちを守っていけるだけの、育てていけるだけの経済力が自分に欲しいと、切実に思ったのだった。

呼出 その2

呼出当日、私も仕事が休めればくっついて行きたかったのだが、生憎休めない状況だったので、父が1人で行った。
以下は父から聞いた話である。
○○金融公庫に行くと、まだあちらは来ていなかったそうだ。
父が窓口で用件と名前を言うと、応接室のようなところに通された。
数分後、義父が現れた。
3人で話し合いが始まろうとしたので、父は
「ちょっと待ってくれ。全員揃ってないんじゃないか」
と言った。
すると義父が、
「長男はちょっと遅れてくるし、次男は仕事がある」
と言った。
まず父はそれに憤慨した。
「みんなが揃うと言うからこっちは仕事休んで来てるんだ。そんなことなら帰らせてもらう」
と席を立とうとすると、金融公庫の担当者の人に止められ、しぶしぶ席に着いた。
「この債務は3ヶ月滞納となっているんですが、今後のお考えを聞かせてください」
と担当者が言った。
義父はもごもごと答えた。
「まぁ・・・店が上手いこといかないもんで、今こういう状態になってるんですけど、なんとかしないといけないとは思ってます」
担当者が父に向かって言った。
「こちらとしましては、何度も債務者様にはご連絡もしておりますし、こちらとしても、努力はされてるようなんですけど、こう何度も滞りますとこちらとしても困るんです。なんとかならないでしょうか?事情は伺っておりますし、債務者様もそちらには迷惑をかけたくないという意向ですし、こちらとしてもお宅にはできるだけ請求はしたくないんですけどね」
父は言った。
「うちは絶対に払わん。その前にこっち(義父)には持ち家があるんだから売ってでも払ってもらったらいいんじゃないのか。自分の物は失くしたくない、借金は人に押し付けるって言うんじゃあ筋が通らんのじゃないのか」
義父「家を売れって言われても・・・そしたら、うちは住むところがなくなってしまう」
父 「そんなことはうちの知ったことじゃない、あんたらの放漫経営の結果だろう。」
そうこうするうちに義兄が来た。
義兄は、今の経営状態や今後のことを説明し、そして父にも謝り、その日の話し合いは終わった。
翌日、義父と義兄が我が家に来た。
○○金融公庫と話し合った結果、保証人である父の了解がとれれば、1年間の猶予措置というものがとれるらしい。
その了解を得に来たのだ。
そこで、父は初めて義父と義兄に言った。
父 「うちの娘を嫁に出したけど、ちゃんとした嫁としての扱いなんてされてなかったんじゃないのか。結婚した数ヶ月あとからパチンコに通って家にはいない、子供が産まれても給料ももらえない。あんたらは日銭が入るだろうけど、うちの娘は給料が頼りだったんだ。小さい子供抱えて内職で生活するのがどれだけ大変だったのかあんたらにわかるか?」
義兄「申し訳ありません。自分たちの店を建て直すのに精一杯だし、ぼたもちさんもお金のことはあんまり言わなかったから気づかなくて・・・でもうちが大変なら給料のない弟夫婦はもっと大変だったんだと思います。」
父 「義兄さんや義姉さんにはよくしてもらったってぼたもちから聞いてます。義父さんや義母さんの悪口も聞いてはおりませんけど、見てたら親ですから苦労しているのかしてないのかくらいはわかってました。
今さら言っても仕方のないことかもしれませんし、娘も何にも言いませんが俺はあんたらに協力する気にはなれませんので帰ってください」
義父と義兄はお詫びを言って帰って行った。
玄関が閉まったとたん、母が言った。
「やっぱりお義兄さん、男前ねぇ
私と父はがっくりと肩を落としたことは言うまでもない。

金融公庫の呼出

父宛に届いた○○金融公庫からの封書。
それは父に対する呼出状だった。
“10月○日、滞納されております債務の件につきましてご相談したいことがございますので、主債務者様及び連帯保証人様におかれましては、当金融公庫までご足労お願いいたします”という内容だった。
私は父からその封書を見せられた翌日、元夫の実家に直接電話をした。
父が電話をしたようだが、誰も電話にでなかったそうだ。
なので、昼休みに外から電話をした。
離婚をしてから、実家に直接連絡をとるのは、督促状の束をカウンターに並べた時以来だった。
電話に出たのは義父だった。
私 「ご無沙汰しております、ぼたもちです」
義父「あぁ、ぼたもちさん。悪いなぁ、迷惑かけて」
連絡があることをうすうす感づいていたのか、義父は電話の相手が私だということを知ってもさほど驚いた様子はなかった。
私 「○○金融公庫から手紙がきましたが、どういうことなんでしょうか」
義父「うん・・・まあ、ぼたもちさんのところにはできるだけ迷惑をかけないように頑張ってはいるんだけど、なかなか商売も上手いこといかなくて・・・。そっちのお父さんにも連絡しないといけないって思ってたんだ」
私 「そうですか、昨日電話をさせていただいたようですけど」
義父「あぁ、昨日はみんなで食事に行ってたから、その間かなぁ」
私 「食事?食事に行く余裕がおありですか。それで滞納ですか」
義父は失言に気づいたのだろう、ぼそぼそと
「いや、お母さん(義母のこと)がちょっと具合が悪くてごはんが作れないって言うし・・・、」
などと言っている。
私 「そんなことはどうでもいいんですが、私と話してても埒があかないと思いますので、父と直接話していただけます?」
義父「あぁ、わかりました。」
私はそれで電話を切り、父にこのことを伝えた。
そして夜、電話はかかってこなかった。
翌日、父が電話をかけ直すと、義母が出てきた。
以降の会話は父から聞いたものである。
義母「あら、ご無沙汰してます」
父 「ご無沙汰はどうでもいいからご主人に代わってください」
義父「ご迷惑をおかけしてます」
父 「どういうことなのか説明してもらえないですか」
義父「えぇ・・・やっぱり店が上手いこといかないんです。迷惑かけないようにしようと思ってるんですが」
父 「こういう呼出をされること自体が迷惑ですね。そっちは金融公庫に近いし自営業だからいいかもしれないけど、こっちはガソリン代使って会社を休んで行かないといけないんですから」
義父「はぁ、よくわかってます」
父 「わかってると言うならそれなりの覚悟がおありなんでしょうな」
義父「覚悟、というのは・・・?」
父 「こっちは一銭もあんたたちのために払う気はない、ということです。家でも何でも売り払って完済したらいかかです?」
義父「・・・」
父 「とりあえず、○日には伺います。そっちも保証人は全員出席されるんでしょうね」
義兄、元夫も連帯保証人である。
義父「もちろんです」
父 「わかりました」
父は電話を切った。
そして、呼出の日がきた。

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